1972

1972年4月28日東京都三鷹市に生まれる。(中学入学までは中村 琢が本名です。)

1973〜1978

生まれてまもなく東京都府中市に引越し、小学校を卒業するまでここで過ごす。
この頃からお姉さんの影響で、見よう見まねでピアノを弾くようになる。
とても音楽に興味を持つようになり、お母さんが良く聴いていたオールディーズに影響を受ける。
彼の曲でよく見られるあの甘くせつないメロディーとコード進行はこの頃根づく。
そして彼の音楽性の基礎となる。


1979〜1984

府中市立府中第一小学校に入学。この頃は日本の歌謡曲に影響を受ける。
後にドラマ中卒東大一直線の主題歌を歌っていたTHE MODSを聴き
バンドに興味を持つようになる。
もちろんTHE MODSにもかなりの影響を受ける。
最初はドラムに興味を持つが値段を見てビックリしギターにしようと思う。
6年生になり、学校で盛んだった鼓笛隊で1年間トランペットを学ぶ。
小学校を卒業する頃、友達にバンドを組もうと持ち掛けるがまだ早いとあっさり断られてしまう。


1985

三鷹市立第一中学校に入学。
(家庭の事情でお父さんが母親側の養子に入った為、本名が松浦 琢になる。)
やっと貯めたお金で1万3千円のギターを手に入れるが、何もわからずしばらく飾り物になってしまう。
この頃からWHAM!やa−haなどを聴きはじめ、再び洋楽に興味を持ちはじめる。
そしてこの年に演技にも興味があった彼は、お姉さんのすすめで劇団のオーディションを受ける。
見事、山王プロダクション所属劇団日本児童に国分寺スクール第一期生として入団する。
(TBSドラマ「天までとどけ」の長男役・高尾晃市さんと同期)


1986

お姉さんがバンドを始め、その時やっていたBOOWYに多大な影響を受けるようになる。
夏も終わり頃、友達の紹介でバンドに入らないかと声がかかる。
だが、空きがキーボードしかなく悩むが、どうしてもバンドをやりたかった彼は、
お姉さんからシンセサイザーを安く譲ってもらいバンドに加入。初のバンドMORAL結成である。
ボーカル、ギター2人、ベース、ドラム、そして彼のキーボードの6人編成でスタートする。
そしてこの頃から、早くも彼はオリジナル曲も作り始める。
劇団の方も仕事が来始め、明治製菓・小僧寿しCM・日生劇場ミュージカル、
サウンド・オブ・ミュージックで長男役として坂口良子さんや羽賀研二さん等と共演するなど、
多数の仕事と学校とハードスケジュールを消化していく。

1987

中学3年生になった頃、さまざまな理由からボーカルとギター1人が脱退してしまう。
コーラス担当でもあった彼がキーボードを弾きながらボーカルもやるようになっていく。
本格的にライブ活動をしたいと考えるようになり、彼が正式のボーカルとなり4人編成となる。
夏も近づく頃からメンバーの1人が電気屋さんだった事もあり、
倉庫を借りて毎日のように練習できるようになる。
そして9月20日、三鷹のYA-YAという貸しスタジオで
2時間にもおよぶ初のワンマンライブを行い大成功に終わる。
この頃から、合唱の盛んだった学校を筆頭に町や生徒たちからも多大な圧力を受けるようになる。
今時というかその頃にしても珍しく、ロックなんかとんでもないというような町だった。
そんな圧力に負けたくなかった彼達は文化祭で演奏することを決意する。
だが、彼達の学校は数年前こういったバンドなどにより
文化祭が潰れていたため容易な事ではなかった。
まず、デモテープを持って来いというので学校に持っていくが、反吐が出ると投げ捨てられる。
その後何とかオーディションに参加できる事になり、完璧なものにしたかった彼達は、
前日にもかかわらずギターを2本にしようという事になる。
彼は眠っていたギターを引っ張り出し一晩で、しかも耳コピで弾けるようになっていた。
彼達の悔しさが伝わってくる。
オーディション当日、彼は合唱だろうが、演歌だろうが、ロックだろうが
素晴らしいものは素晴らしいじゃないかと涙ながらに訴えた。
そして何とかオーディションを通過した。が、彼達への扱いは酷いものだった。
他の団体は午前・午後と1時間以上の時間がある中、彼達には昼休みの2分間だった。
準備をふくめた時間だったため明らかに演奏ができない。
交渉をかさねたが4分に伸びただけだった。
文化祭当日、髪を立て気合いを入れ、体育館のステージへ上がる彼達。
そこで場内放送が流れる。こんな物は聴くもんじゃない、早く昼ご飯を食べに行けと。
そんな中、一見応援にも聞こえる罵声をあびながら2曲を演奏する。
唯一の救いであったアンコールの声が響く中、電源をぬかれてしまう。
幕の後ろでは悔しさのあまり動けなくなった彼がいた。
再び場内放送が流れ、アンコールはやらせない。そんなに聴きたければまた来年やればどうだと。
その一言で彼はキレてしまいステージを駆け下り先生に殴りかかってしまうがメンバーに止められる。
こんな事があったのもステージ裏にいた小人数の生徒しか知らない。
学校だけでなく家庭などにもいろんな事があったらしく
当時の彼を唯一支えていたのは音楽だけだった。
数日後、いろんな思いを抱きながらBOOWYの武道館ライブのビデオを見ていた彼は、
プロになりたい、絶対にプロになってやると決意する。
そして幾つかのライブをかさねるが、
卒業とともにドラムがロシアへいってしまう事もあってMORALは解散してしまう。
劇団の方は金八先生や北の国から、マルサの女などの出演の話もあったのだが、
何ヶ月もの間、地方ロケになるものもあり、高校受験のため悩んだ末に断念する。
両親の高校だけは行ってほしいという強い希望から、
劇団は付属の専門学校へ行かないと継続できないため、高校入学と共に退団する事になる。
劇団とは関係ないがBOOWYの「季節が君だけを変える」の
プロモーションビデオ出演の話もあったのだが、
これまた試験日と重なった為、断念した。(これは今も悔やんでいるらしい)



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